映画『ザ・ソプラノズ ニューアークに舞い降りたマフィアたち』感想/マフィアの抗争が激化する時代を生きた男たち

クライム

作品紹介

若きトニー・ソプラノが育ったのは、ニューアークの歴史の中でも激動と混乱の渦巻く時代。それはまさにライバルのギャングたちが台頭し、ディメオ・ファミリーの覇権に挑もうとしていた頃だった。そんな変わりゆく時代の波に翻弄されたのが、トニーのあこがれの存在である叔父のディッキー・モルティサンティ。多感な10代の若者は叔父の影響を受けながら、やがて絶対的なマフィアのボス、トニー・ソプラノへと成長してゆく。(2021年)

監督アラン・テイラー
脚本デヴィッド・チェイス/ローレンス・コナー
製作デヴィッド・チェイス/ローレンス・コナー/ニコール・ランバート
製作総指揮マイケル・ディスコ/マーカス・ヴィシディ/トビー・エメリッヒ/リチャード・ブレナー
出演アレッサンドロ・ニヴォラ/マイケル・ガンドルフィーニ/レイ・リオレッタ他

登場人物

リチャード・“ディッキー”・モルティサンティ(アレッサンドロ・ニヴォラ)

ドラマ版「ザ・ソプラノズ哀愁のマフィア」の前日譚として、この物語の主役。トニーの叔父にあたる。父親がイタリアから連れ帰ったジョゼピーナに暴力をふるい、口論の末、図らずも父親を殺してしまう。その後、父親の組織を継いでボスになり、ジョゼピーナを愛人にする。息子のクリスが生まれるが、ジョゼピーナが浮気したことを知り、殺してしまう。

ディッキーを演じるアレッサンドロ・ニヴォラは、1997年公開の『フェイス/オフ』で映画デビュー。ニコラス・ケイジの弟役で注目を集める。
「ジュラシック・パークIII」「しあわせの法則」「アメリカン・ハッスル」「紅海リゾート -奇跡の救出計画-」など出演多数。

トニー・ソプラノ(マイケル・ガンドルフィーニ)

小さい頃から、父親よりディッキーの影響を受けて育つ。両親は気質になるのを望んでいて、自分もアメフトで大学に行こうとするが、ディッキーの死で方向転換することになる。学校の成績は悪いが、知能指数は高く、リーダーの素質もあるが、母親には理解されていない。

マイケル・ガンドルフィーニは、ドラマ版で「トニー・ソプラノ」を演じたジェームズ・ガンドルフィーニの息子。面影もあるのでこの役にはピッタリ。
「ソプラノズ~」以降、そこまで大きな役はまだないけれど、ドラマ「DEUCE/ポルノストリート in NY」「ジ・オファー/ゴッドファーザーに賭けた男」などに出演している。

マイケル・インペリオリ(クリス・モルティサンティ)

ドラマ版でクリス・モルティサンティを演じたマイケル・インペリオリは、今回はナレーターを担当。物語もクリスのお墓を映しながら1960年代に遡っていく。クリスは映画版の主人公ディッキーは父にあたり、愛人のジョゼピーナの間に生まれた息子になる。

シルヴィオ・ダンテ(ジョン・マガロ)

ドラマ版ではトニーの側近だったが、この頃はディッキーの片腕。シルヴィオ独特の仕草ですぐに彼と分かる演技をしているのはジョン・マガロ。この人は多くの映画やドラマに出演している、いわばバイプレーヤー。主役ではないものの、出演する映画やドラマにアクセントを与えている。コミカルな役やちょっと頼りない感じのキャラが多い。現在もシーズン2を更新したドラマ「ザ・エージェンシー」に出演中。

ポーリー・ウォルナッツ(ビリー・マグヌッセン)

ドラマ版では「わが道をゆく」ポーリー。相変わらずおしゃれに気を使い、ちょっと血の気の多い若き日のポーリーをビリー・マグヌッセンが演じています。

ハロルド・マクブレイヤー(レスリー・オドム・Jr)

1960年代から70年代の黒人差別の中、ディッキーの使い走りにされていたが、のし上がろうと自分で賭博を仕切ろうとする。そのためにディッキーと争うことに。だが、ディッキーが殺されたため、成功を勝ち取る。
自分も結婚しているが、ディッキーの愛人のジョゼピーナと浮気する。

そんなハロルドを演じるのは17歳のとき、ブロードウェイの舞台『レント』でデビューしたレスリー・オドム・Jr。2015年、ブロードウェイの大ヒットミュージカル『ハミルトン』で主人公アーロン・バー役を演じて第70回トニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞するなど高い評価を受ける。
テレビドラマ「SMASH」や「PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット」、映画「オリエント急行殺人事件や「あの夜、マイアミで」、ライフ・ウィズ・ミュージック」などに出演。

その他の登場人物

  • ジュゼピーナ:ミケーラ・デ・ロッシ
  • サルヴァトーレ“サリー”・モルティサンティ/“ハリウッド・ディック”・モルティサンティ:レイ・リオッタ(二役)
  • ジョニー・ソプラノ:ジョン・バーンサル
  • リヴィア・ソプラノ:ヴェラ・ファーミガ
  • ジュニア・ソプラノ(アンクル・ジュニア):コリー・ストール

感想

この映画は、やはりドラマ「ザ・ソプラノズ哀愁のマフィア」を観てからみてほしい。ドラマの主要人物の若かりし頃の話なので、それが誰なのかということが一目瞭然にわかるようになっていて面白い。
特にシルヴィオやポーリーは、ドラマ版の仕草や話し方がそのままで、まぁ、それを真似た感はあるけれど、それだけ、ドラマ版のキャラ設定が個性的だったという証でもあると思う。
この映画で、シルヴィオはかつらだったことが判明。ドラマ版ではそんな設定ではなかった気がするのですが(笑)

1970年代はトニーも高校生。多感な時期に父親は刑務所で、母もああいう感じだし、もっぱら頼っていたのは叔父のディッキーで、事あるごとに周りを観察していたトニー。ディッキーの背中を見て、色々と吸収し、後のトニーになっていく。

ナレーターはクリスだし、主人公はディッキーなので「モルティサンティ」の物語のようでもあるけれど、いくつかのエピソードは、ドラマ版に出てきた話と合致するようになっている。例えば、遊園地で父親が捕まってしまうという出来事は、ドラマ版でもトニーの思い出話として再現されているし、車の中で母親がおしゃべりでうるさいときに、父親のジョニーが母の頭の側で銃を撃つというのもドラマ版で語られている。そんな感じであちこちにドラマ版と繋がっている箇所があるので、ドラマ版を見てからのほうがより楽しめると思う。

1967年「ニューアークの反乱」も描かれる

メインの物語の背景ではないものの、1967年のニューアークでの大きな出来事である「ニューアークの反乱」もザクッとだけれど描かれている。
ディッキーが父親を殺してしまい、反乱に乗じて遺体を倉庫に運び、父親の遺体ごと火を付ける。反乱のせいにしてしまおうというところ。
この時代の大きな事件との絡め方は見事。それは実際にもかなり大きな暴動で、それは1967年7月12日~17日までの6日間にわたることになる。

50年前の1967年7月、ニューアークとデトロイトの2つの都市で暴動が発生しました。事の発端はニューアークで1967年7月12日、2人の白人の警官がアフリカ系米国人のタクシードライバーを拘束し殴打したことでした。その直後の7月23日、デトロイトの警察がアフリカ系米国人が住む地域の深夜クラブに手入れをこなったことで、別の大規模暴動が起きました。デトロイトでは43人が死亡、ニューアークでは26人が死亡し、両都市で7000人が逮捕されました。この二つの暴動は、ニューアークとデトロイトの二つの街を大きく変え、アフリカ系米国人が政治的力をつけていく時代の幕開けとなりました。

引用:Democracy Now Japanより

とあるように、最初は抗議のデモだったものが段々と過激になり、投石、火炎瓶などによる放火などを含む暴動に。大規模な範囲での商店の破壊、略奪も起きている。7月15日には、鎮圧に当たっていた警官の一斉射撃で、多数の死者がででいる。

折しも、1960年代から70年代と言えば、公民権運動が活発になり、少しずつ黒人の人権が認められつつあった時代。とはいえ、黒人差別は根深く残っていて、それは決してなくなったりしないのが現状。
この時代のニューアークは、黒人の占める割合は多いものの、各付けや教育、仕事などの機会は与えられず、常に白人が優位。黒人の居住地は環境も劣悪で、土地開発の対象になってしまう。
そういう環境の中で、何とか這い上がろうとするハロルド。

映画の中では、最初、ディッキーの使い走りのような立ち位置にハロルドがいて、ディッキーの仲間たちは差別的な言動を平気で言う。それにうんざりしていたハロルドは、暴動など時代背景にも影響も受け、自分が元締めになろうと決意。こうしてディッキーとハロルドは敵対し、お互いの命を狙うようになる。

ディッキーとの約束

トニーが学校で賭け事をやり停学になったとき、ディッキーが母親に心配かけるなと諭す。そのとき、指切りをするのだけれど、これが後に大事なポイントになる。ディッキーはトニーにとっては、頼りがいのある大好きな叔父さんだったかと思うけれど、実際は、父親や愛人、いわゆる身内を手にかけていて、どちらも感情的になった末のこと。激昂する性格は、父親似なのかもしれない。映画の中で「いつも殴られていた」と言っていたし、「父親のようにはならない」と言っていたにも関わらず、結局は同じようになってしまっている。

ディッキーは、トニーのもう一人の叔父であるジュニア・ソプラノに対してもちょっと意地悪と言うか。いつも小馬鹿にしている感じで、ジュニアがそれをよく思っていないのは当然だとは思う。ある雪の日に、階段で雪に足を取られて滑って転んだジュニアを、ディッキーが馬鹿にしたように笑い、それに堪忍袋が切れたジュニアが、外部に頼んでディッキーを殺してしまう。

このことも、ドラマ版ではトニーがディッキーを殺したのは悪徳警官だとクリスに告白し、クリスは敵討ちでその警官を殺して、教えてくれたトニーに感謝するのだけれど、トニーは真相を知っていたのか。知りながらも敢えてそうしたのか。どちらにしても、本当の犯人はジュニアだったということになる。

そして、棺の中のディッキーを見つめながら、(これはトニーの心の中のことじゃないかと思うのだけれど)ディッキーと指切りするトニー。まさにこのときに「トニー・ソプラノ」が誕生したのだと思う。
前述もしたけれど、ディッキーの物語のように見えて、これはやはりトニーの物語。ディッキーの死が、トニーの本来の姿を目覚めさせるきっかけになったんじゃないかなと思ったりする。
1960年から70年代の激動の時代の中、ディッキーの背中を見ながら周りを観察し、したたかに絶対的なボスになっていくトニーの姿が想像できる。

エンディングの最後に、ハロルドが大金を持っている姿が映し出される。謀らずも自分が手をくださずにディッキーが死に、元締めになれたということか。

エンディングには、また「Woke Up This Morning/Alabana3」の曲が流れる。この曲を聞くと、ドラマ版でトニーを演じたジェームズ・・ガンドルフィーニがもういないということが、かえって切なくて後を引く。

「ザ・ソプラノズ」の魅力

個人的には、「ザ・ソプラノズ哀愁のマフィア」がすごく好きで、上手く言葉にできないのだけれど、とても惹かれてしまう。トニーはどう考えても「いい人」ではないわけだし、自ら手を下すときも容赦ない。手下たちに弱みは見せれないし、常に気を張っているトニー。その一方で母に愛されたいと願っているけれど、それは叶わない切なさ。「理想の母」「理想の女性像」を精神科医のメルフィに求めるがそれも叶わない。
残酷なマフィアの面と「優しい母」を求める少年の心を持つ面と、それがトニーの魅力でもあり、それを見事に演じているジェームズ・・ガンドルフィーニの魅力でもある。
何年経っても、何回観ても心に残る「ザ・ソプラノズ哀愁のマフィア」。これを知っているからこそ、「ザ・ソプラノズ ニューアークに舞い降りたマフィアたち」も、心に沁みます。

前日譚版のドラマ化?

ドラマ「ザ・ソプラノズ哀愁のマフィア」の前日譚、映画版「ザ・ソプラノズ ニューアークに舞い降りたマフィアたち」のドラマ化の話が持ち上がっているという。それはファンにとっては嬉しい限り。
ディッキーが死んだ後、トニーの父親のジョニーがボスになると思うのだけれど、そこからどういう風にトニーが成長してボスになるのかとか、シルヴィオたちがトニーの側近になる過程や、妻のカメーラとの出会いなんかもあるといいなとか勝手に思っております。

映画は、5000万ドル(約57億円)の製作費をかけたにも関わらず、興行収入は1300万ドル(18億円)あまり。大成功とは言えないものの、フランチャイズの可能性は捨てきれない模様。
やってほしいけれど、制作側のいろんな事情があったりするので感情だけでは成立しないこの世界。けれど、ドラマが終わってから10年以上経ってもこれだけの注目度があれば、ドラマになってもいいんじゃないかと思うのは、やはり楽観的かもしれない。