映画『シークレットロード』感想/偽りの人生からの脱却

■洋画

作品紹介

社会的な成功を収め、長年連れ添った妻のジョイとも良好な関係を続けてきた初老の男ノーランは、平凡な幸せには恵まれていたが、代わり映えのない毎日に飽き飽きとしていた・・・。そんなある日、帰宅途中に車で、謎めいた若者レオにぶつかってしまったことをきっかけに、彼の本能が目覚めはじめる・・・。(2015年)

監督ディート・モンティエル
脚本ダグラス・ソースビー
製作モニカ・アギーレ・ディエス・バローゾ/ライアン・ベレンゾン
出演ロビン・ウィリアムズ/キャシー・ベイカー/ロベルト・アギーレ他

登場人物

ノーラン(ロビン・ウィリアムズ)

26年間、実直に銀行に勤め、妻とも仲良く普通に暮らしているノーラン。けれど、実際には妻とはベッドも部屋も生活も別々。それでも銀行では昇進の話も持ち上がり、安定した生活を送っている。

あまり表情の大きな変化はなく、淡々とした中に何か心に抱えているノーランを演じたロビン・ウィリアムズ。この作品は、没後に遺作として発表されました。
ロビン・ウィリアムズといえば、最初はコメディアンとして活躍、後に舞台を映画に移し、「グッドモーニングベトナム」「今を生きる」「グッドウィルハンティング/旅立ち」「レナードの朝」など心に沁みる作品のほか、「ストーカー」「インソムニア」などクライム・サスペンスにも出演。人を笑わせるのが大好きで、その才能は天才的と謳われています。
薬物乱用の過去もあり、アルコール依存には長く苦しんでいます。死後、彼が「びまん性レビー小体型認知症」だった可能性が示唆され、それは重度のうつ病の症状もあるという。

アカデミー賞1回、プライムタイム・エミー賞2回、ゴールデングローブ賞6回、グラミー賞5回、全米映画俳優組合賞2回、2005年にはゴールデングローブ賞 セシル・B・デミル賞も受賞しています。
個人的に好きなのは「パッチ・アダムス」。残酷すぎる悲しい出来事があるものの、病気に苦しむ子どもたちを笑わせるというのは、ロビン・ウィリアムズの真骨頂とも言えるのでは。

ジョイ(キャシー・ベイカー)

ノーランの妻。ノーランを愛しているが、ベッドも部屋も別々なことには、本当は不満を持っている。夫婦仲が悪いわけではないのに、その理由については詳しく話し合わないようにして、ノーランが夜遅くなったことや怪我のことなど、深く追求せず、疑いを持ちながらも知らぬフリをしている。

夫婦でありながら微妙な立ち位置の妻を演じるのはキャシー・ベイカー。実力派女優ですね。映画、ドラマで活躍、CBSのテレビドラマ『ピケット・フェンス ブロック捜査メモ』でプライムタイム・エミー賞ドラマ部門主演女優賞を3度受賞。多くの映画やドラマに出演しているのに、今も昔もあまり印象が変わらない。今回も難しい役を上手く演じています。

レオ(ロベルト・アギーレ)

生活のため体を売る男娼で、元締のエディに暴力を振るわれている。
ノーランと心を通わせつつあったけれど、行方をくらましてしまう。

ウィンストン(ボブ・オデンカーク)

ノーランの親友で大学講師をしていて若い恋人がいる。ノーランと週に一度ランチをするのが習慣。

ノーランのことを心配し、理解しようとする友だちのウィンストンを演じるのはドラマ「ベター・コール・ソウル」のボブ・オデンカーク。コメディアンでもあり、放送作家でもあり、監督でもある。

感想

(※ネタバレ含みます)
これはロビン・ウィリアムズが自ら命を絶つ3年前ということで、病状なども進行している時だったのではないかと思ったりする。ドキュメンタリー映画のような雰囲気で淡々と描かれ、これといった派手な場面はない。何か劇的な展開やスピード感を求める人には退屈に思えるかもしれない。

けれど、これといった目新しいこともなく、家と、勤めている銀行と、父親がいる介護施設に行くくらいの日常。きっとふつふつとしたものはあるにせよ、26年間、それを押し殺し、見て見ぬフリをしながら生きてきたノーラン。
それが、上司から昇進の話を持ちかけられて、心が動き出す。このあたりの演技はやはりさすがのロビン・ウィリアムズだと思う。

本当の自分

昇進の話は親友のウィンストンにはしていたけれど、妻のジョイにはまだ話していなくて、それが、ウィンストンとの食事会で発覚する。寝耳に水のジョイ。けれど、そこまで深くは追求しない。「一緒に船旅でもしたい」と話題を変える。このあたりが、この夫婦関係を表している。ジョイも、不満はありながらも、ノーランとの生活を壊すのが怖くて、自分の本当の気持ちに見て見ぬふりをしているのだ。

そんな時、ノーランの父が危篤状態になり急いで病院に行くノーラン。父親との関係はあまりよくないらしいのだけれど、その詳しい説明はない。その帰り、車の運転中に何か意を決したように車の向きを変え、娼婦たちがいる通りに向かう。何か今までと違うことをしたかったのか・・・。
そこで、車に当ててしまったのがルイだった。
ルイを車の乗せモーテルに向かうノーラン。ルイは男娼で、服を脱ごうとするがノーランは制止し、体の関係はなしだという。

ノーランはルイと出会ったことで、自分の本当の姿を思い出したんだと思う。「思い出した」というのはちょっと違うかもしれないけれど、自分が同性愛者だということをずっと隠して秘密にしてきたノーラン。ジョイのことを愛してないわけではない。けれど、本当に求めているわけでもない。ルイに出会ったことで、自分の本当の望みに向き合うことができたのかもしれない。そういう自分の思いに気づくと、ルイに会わずにはいられない。
ともすると、ただのしつこいおっさんになってしまいそうだけれど、ルイを何とか今の状況から救いたい。その一心なのだ。でも、当のルイは、ノーランを「客」としか見れない。体の関係なしでお金をもらうことに抵抗があり、ノーランの気持ちを理解できないのだろうと思う。

観ているこっちも、ノーランは何がしたいんだと思ってしまわないでもない。手を握ったり、抱きしめたり、裸を見たりするのはよしとするのは、そういう欲望はあるわけで、それでも一線を超えないのは、「自分は他の男達とは違う」「本気できみを大切に思っている」ということなのかな。

秘密を抱えてきた人生から新しい人生へ

ノーランの昇進の話で、上司たちとの食事会がある日、ルイが薬の過剰摂取で入院したとノーランに連絡が入る。ジョイに先に行っててくれと頼み、病院に急ぐノーラン。
けれど、ルイは病院を抜け出し、住んでいたところも引き払っていた。
きっとルイの生き方は変わらない。学校に行って学び直すこともないし、男娼をやめることもない。ノーランの思いはルイには重いだけなのだろうと思う。ルイがどんな環境で育ち、どうして男娼になったかはわからないけれど、「体を売ってお金をもらう」それ以外のことは今のルイには出来ないのだ。
ルイはもう見つからないけれど、ノーランは自分の本当の望みが何なのかに気づき、ジョイとの離婚を決意する。
映画の最後にノーランの言葉がある。

ある夜、車を走らせた。知らない道へ。
人生も同じようなものだ。その時々で道を選んでいく。
そしてまた、新しい道へー

「自分らしく生きる」というのは、それがわかっている人には簡単なのだろうけれど、そのじつ、「自分の本当の望み」をわかっている人は案外と少ないのかもしれない。けれど、道はそこにある。どの道を選んでも間違いはない。本当の望みに行き着くまで、いろんな道を進めばいいだけなんだと思う。

今までの「秘密を抱えた人生」から開放され、新しい道を進むノーランの表情は、肩の力が抜けて軽くなっている気がした。表情が極端に違うわけでもない。けれど、その微妙な変化を演じられるのがロビン・ウィリアムズなのだ。
また「パッチ・アダムス」が観たくなりました。