作品紹介

進行性の難病、ALSを患うリリーは自分の体が動かせるうちに安楽死を選ぶことに。
リリーは家族や親しい友人を自宅に招待し、最期の週末を一緒に楽しもうとしたが、長女ジェニファーと次女アナとの間にあった積年のわだかまりが顕在化し、場の雰囲気が徐々に悪化してしまう。( 2019年)

監督ロジャー・ミッシェル
脚本クリスチャン・トープ
製作デヴィッド・ベルナルディ/シェリル・クラーク
出演スーザン・サランドン/ケイト・ウィンスレット/ミア・ワシコウスカ/サム・ニール

登場人物

リリー(スーザン・サランドン)

ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、自分の身体が動かせるうちに安楽死したいと家族に伝え、家族を最後の晩餐に誘う。

ポール(サム・ニール)

リリーの夫で医者。リリーの望みに協力し、支えている。

ジェニファー(ケイト・ウィンスレット)

リリーとポールの長女。
神経質なところがあり、家族に対して「こうであるべき」を押し付けがち。
妹のアナとも通じ合えない。

アナ(ミア・ワシコウスカ)

リリーとポールの次女。ジェニファーの妹。精神的な不安を抱えている。

エリザベス(リンジー・ダンカン)

リリーとポールの古くからの親友。
リリーにポールと娘たちのことを頼まれる。

マイケル(レイン・ウィルソン)

ジェニファーの夫。あまり夫婦仲はうまくいってない風。

ジョナサン(レイソン・ブーン)

ジェニファーとマイケルの息子。将来俳優になりたいことを告白する。

感想

2014年のデンマーク映画『サイレント・ハート』を全編英語でリメイクした作品。
難病を患い、体が動かなくなる前に、自ら人生を閉じたいと決心した母を夫は、友人は、家族はどう考え、支えていくのか。
考えさせられる作品。

姉妹の思いを軸に家族のあり方を考える

「安楽死」は法律では違法になるけれど、リリーは夫が医者であることもあり、この先自分がどうなっていくのかを知り、既に家族と話し合いを重ね、体が動く間に自分の死を決心する。
それを受け、家族が「最後の晩餐」をするために集まるのだけれど、軸になるのはジェニファーとアナの姉妹の思い。

若い時からの大親友エリザベスとは家族旅行にも同行するほど。
若いときの思い出話ではリリーが自由奔放だけれど自分の芯を持ち、自分で人生を切り開いていくような強い女性だったことが伺える。
だからこそ、息するのさえ自分でできなくなる自分に耐えられないのだろうし、そういう姿を家族にも見せたくないのかもしれない。

けれど、次女のアナは情緒不安定で、自殺未遂を起こしてしまうほど、自分に劣等感を持っている。
長女のジェニファーにはいつも否定され、母には「強くあれ」と言われ、受け止めきれない。
こんなもやもやを抱えて母をこのまま見送っていいのか。

ジェニファーもまた、家族の中で小言ばかりいい、夫婦仲も悪くはないが良くもない。
そんなときに父のポールが親友のエリザベスと抱き合い、キスするのを見て、二人が不倫して母を死に追いやろうとしているのではと怒り心頭。それをみんなの前で吐き出してしまう。

けれど、その不倫はリリーが自ら夫とエリザベスに望んだことだった。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは

筋肉を動かす脳や脊髄の神経(運動ニューロン)が徐々に障害され、手足・のど・舌・呼吸筋などがやせて力がなくなっていく進行性の病気です。筋肉そのものではなく、脳からの指令が筋肉に伝わらなくなることが原因で、体の感覚や知力、内臓機能は保たれるのが特徴で、国の指定難病です。
発症から人工呼吸器が必要になるまでの期間の平均値は32〜48ヶ月(約3〜4年)ですが、個人差があります。


最後の日に、家族の前でリリーが言う。「私は幸せ」と。
「愛する男がいて俳優でラッパーの孫がいて・・・」と続くのだが、リリーにとってポールは「愛する夫」ではなく「愛する男」なのだ。だからこそ、一番信頼し合っているエリザベスに後を託す。

とはいえ、昔からの親友に自分の死後に夫や娘たちを託すというのは、どういう心境だろうか。
実際に自分がそんなことになったらできるかどうかはわからないけれど、共感はできる。
覚悟を決めた自分はいいけれど、後に残す者たちを支えてくれる人がいるといないでは、心残りの具合がかなり違う気がする。

つい「自分だったら」と考えてしまうのだけれど、多分、一人ひとり考え方、感じ方は違うテーマだと思う。
ワタシとしては、「難病になり、何もわからなくなってしまう前に自ら死を決める」ことに注目してしまうのだけれど、映画のテーマは結局は「家族」で、そう思うとちょっとあっさりしすぎているように感じた。

もう既に何度も話し合い、納得ずくの「最後の晩餐」なのだから、ただ「楽しい思い出作り」の夜なんだろうし、姉妹のひと騒ぎはあったものの、淡々と進んでいく。夫のポールも一人泣き崩れるシーンはあるものの、セリフは少なく、あくまで愛する妻の最後を見守る風で。
だからこそ、観る者の考え方の幅が広がるのかもしれない。

けれど、実際もこういうものなのかもしれない。リリーの決心は何があっても変わらないのだろうし、その最後の夜を心穏やかに過ごさせたいとみんなが思って集っているわけだから。

死をテーマにした暗い映画ではない

最後の晩餐でリリーが言う。
「死ぬ日を決めたら死ぬのが怖くなくなった。」

でも、それはそれまでは怖かったということか。
ヒッピー時代の自由や個人主義の自己決定が何より大事というリリーでも、そこにいくまでにはきっと葛藤があったのだ。
体は既に片手が麻痺しているし、階段の上り下りもやっとこそさで、段々体も動かなくなり、呼吸も自分では出来なくなっていく。
そんな自分を想像すれば、リリーでなくても死にたくなってしまうかもしれない。

リリーが死を決めたのは強さ故か、それとも苦しさから逃げたい弱さ故なのか?
家族たちにも多くの葛藤があったはず。
家族としてはきっとどんな姿でも生きてほしいと願うのは当然だし、法を犯してまでもする価値があるのか?
きっと多くの疑問や葛藤や戸惑い、怒りや悲しみ、いろんな思いがあったはずだと思う。
それを乗り越えての「最後の晩餐」なのだ。

映画では、そういう一番盛り上がるだろう場面ではなく、ただ、「死を見守る」というところがメイン。
美しい映画のようだけれど、現実的に言ってしまえば、「家族総出の計画殺人」になりかねない。
「安楽死」や「自殺幇助」は違法なのだから。(合法の場所もあります)
こういう問題提起もあり、いろんな議論ができるようになっている映画なのかもしれない。

タイトルの「ブラックバード」の「ブラックバード」というと、ワタシなどは「カラス」のことかしらと思ってしまうのだけど、ここでいうのは「クロウタドリ」というツグミの一種で、「知恵」「美」「希望」の象徴ともされている。

「死」というのはどうしても暗く悲しいことになりがちだけれど、リリーは「自分らしく生きる自由」を選択し、それがこの結果なのだろうと思う。自ら死を選択したことで自由に飛び立つことができる。
そこには不安も恐怖もない。

現実的には、肯定も否定もできない多くの問題があるけれど、リリーは最後まで「自由」を選んだのだと思う。
本人にとってはそれは幸せなことで、リリーが幸せなのなら、家族も納得ということなのだろう。

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