映画『ラブリーボーン』感想/あの世とこの世の世界観

-サスペンス

作品紹介

1973年、雪の降る12月のある日のことだった。14歳のスージー・サーモン(魚の「サーモン」みたいな名前と彼女は言っていた)は学校から家に帰る途中、トウモロコシ畑の中に穴を掘って作った地下の隠れ家に誘い込まれた。そこで彼女は残忍にも殺害されてしまう。連続殺人の新たな犠牲者となったスージーは、その男を知っていた。それは近所に住む男、ハーベイだった。スージーは、天国から家族や友人、そして犯人の人生を見届ける。(2009年)

監督ピーター・ジャクソン
原作アリス・シーボルト
脚本
フラン・ウォルシュ/フィリッパ・ボウエン/ピーター・ジャクソン
製作総指揮スティーヴン・スピルバーグ/テッサ・ロスなど
出演シアーシャ・ローナン/マーク・ウォールバーグ/レイチェル・ワイズ

出演者

シアーナ・ローシャン(スージー)

9歳の頃に子役としてデビュー。映画「つぐない」で13歳でアカデミー助演女優賞にノミネート。
「レディー・バード」では不思議な雰囲気の女の子を演じ、また、「ハンナ」ではアクションにも挑戦。
スージーの役柄も、死んでからの思いや葛藤など難しい面もあったかと。
しかし、案外と「興行的に成功しているような意味のない大作には興味がない」という言葉通り、監督選びは重要視しているけれど、難しい役柄が多いのは、脚本・キャラクター・ストーリーを大事にしているからかもしれない。
一見、優しそうな普通の女の子に見えるけれど、どんな役もこなしてしまうシアーナの、今後も楽しみです。

マーク・ウォルバーグ(スージーの父)

2009年の作品なので、若い!スージーをこよなく愛し、死んだとわかった後も、なんとなくスージーの霊を感じ、犯人を探すのをやめない。それが原因で家族が崩壊してしまうのだけれど、それでもやめられない。
一ヶ月に一回現像していた最後のフィルムに、ジョージが写っていたことから、犯人がジョージと気づく。
けれど、ジョージの策略で、若いカップルの男に襲われて大怪我を負ってしまう。

「ローン・サバイバー」や「ゲッティ家の身代金」「トランスフォーマー」シリーズ、「テッド」シリーズなど多くの作品に出演。コメディからアクション、シリアスと、何でもこなす俳優。
今回も、娘を失って我を忘れて犯人探しに突き進む父親を熱演しています。

レイチェル・ワイズ(スージーの母)

3人の子どもの母親で、カメラ好きで落ち着きのないスージーに呆れながらも子どもたちをこよなく愛する。
スージが亡くなったときは、子どもを守れなかった罪悪感から苦しみ、スージーの部屋に入れなくなった。
犯人探しに夢中になる夫をみているのも辛くなり、家を出てしまう。

映画「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」で有名になり「ナイロビの蜂」でアカデミー助演女優賞・ゴールデングローブ助演女優賞を受賞。映画「レイチェル」では、ワタシの大好きなサム・クラフリンが相手役になりました。
今回も母としての苦悩をうまく演じております。

スタンリー・トゥッチ(犯人)

この人は、どんな役でもこなせるバイプレーヤー。「ペリカン文書」でも残忍な殺し屋の役だったし、そうかと思えば「Shall We Dance?」や「プラダを着た悪魔」、「バーレスク」「ハンガー・ゲーム」シリーズなど、個性的でインパクトの強い役柄も多い。ガンで闘病生活をしていた時期もあるが、今は復帰して精力的に活動しています。

今回も、気の良さそうなおじさんから、殺人鬼に変わる表情がすごかった。スージーのブレスレットの一部を触りながら、余韻に浸るその姿も恐ろしい。スージーを殺した後、うまく証拠を隠蔽し、淡々と何事もないように振る舞うずる賢さもある連続殺人犯を演じています。やはりこの人の演技が作品に与えている影響は大きい。
けれど、後のインタビューで「ラブリーボーンでの犯人役は辛かった」と語ったりしている。

感想

14歳で殺されてしまうスージーは、ごく普通の家庭で、両親に愛され、姉弟たちと普通の日常を過ごしていて。
写真が好きで、将来はカメラマンになるのが夢。
24本あったフィルムを全部使ってしまい、一度に現像するのは料金がかかりすぎるので、一ヶ月一本という約束で現像することになる。
学校では初恋の相手レイに夢中。あるとき、レイに話しかけられ、キスするような雰囲気になるけれど、そこでは出来ず。デートに誘われて喜ぶスージー。
また、霊感の強い同級生のキャロリンのことも気になっている。
けれど、それまでの人生では何も問題はなく、幸せに暮らしていたのに。

学校の帰り、スージーの近所に住むジョージに、趣味のドールハウスを見せると言われ、地下に掘られた部屋について行ってしまい、危険な雰囲気を察したスージーは何とか脱出する。
が、それは既にスージーの霊だった。スージーはその時点で殺されてしまっていた。

この映画を一番最初に観たのは10年以上も前だったけれど、それは自分にとって結構な衝撃だった。
観るものとしては、何とか助かってほしいと願っているものだから、小屋から逃げ出せた時には「よかった」と思ったのだけれど、それはもう死んでしまった後。
その時、同級生のキャロリンが走って逃げているスージーを見る。キャロリンは霊が見えるのだ。
何とか家に帰るが、そこで自分が死んだことに気づく。しかもジョージに殺されて。

あの世とこの世の境目の世界

連続殺人の映画やドラマはよくあるけれど、殺された後の本人の視点で、あの世とこの世の境目の世界を表現するのは斬新で、映画「インセプション」のような雰囲気も感じた。

スージーは天国に行く前のこの世の境目にいるので、両親や家族、そして自分の心がシンクロしていて、その表現が見事。季節が夏になり、冬になり、境目がない。
天国の手前でもこんな美しい世界なら、「天国」は一体どんな素晴らしいところなのだろうと、死んでしか行けない世界でありながら、わくわく感や期待感が生まれてしまう。
スージーもそこで出会ったホリーと友だちになり、その世界を堪能するのだけれど、両親のこと、姉弟のこと、レイ、犯人のことなど、心残りがあってその先に進めない。そして、その人達の成り行きを見守ることに。

けれど、ジョージが犯人だと気づいた父が、ジョージの策略で、襲われてしまったとき、父の苦しみを終わらせようと、スージーは天国に行こうとする。その時、ジョージが殺した何人もの人の霊を見る。ジョージは1960年代から何人もの少年少女を殺していた。その中にはホリーも。

また、この境目の世界で出てくる東屋(あずまや)は、スージーが持っていたスノードームを表しているのかもしれないと思った。スノードームに一人だけのペンギンが可哀想と涙する幼いスージーに父が言う。
「大丈夫、毎日幸せなんだよ。パーフェクトな世界でね」
境目の世界の安全地帯のようなところがこの東屋なのかもしれない。

自分の状況を受け入れた時、ついに天国へ

スージーの遺体を小さな金庫に押し込め、大きな陥没穴に捨てるジョージ。残忍すぎるけど、その報いを受けることになる。
それと同時にキャロリンに乗り移り、レイと念願の「一生忘れられないキス」をするスージー。それが「天国にいけない本当の心残り」だったのだよね。
レイも、それがキャロリンではなく、スージーだとわかってくれて、それが本当に救われた。

もし心残りが自分を殺したジョージへの復讐だったとしたら、スージーは天国に行けなかったかもしれない。
殺され方も、その遺体の捨てられ方も残忍極まりないのだけれど、もうその体には自分はいない。
陥没穴の中の沼に沈められたスージーの遺体は永遠に見つからない。けれど、「ラブリーボーンズ(美しい骨)」は残るのだ。そして、スージーが「自分のいない世界」でも、周りの人たちが幸せでいることを受け入れた時、本当に自由になる。

母もやっとスージーの部屋に入り、「愛してるわ、スージー」という。
この世からいなくなったら忘れ去られてしまうと思いがちだけれど、その人を思う気持ちはなくなったりはしない。
こういう世界が本当にあるとすれば、すんなり天国に行ける人もいれば、スージーのように、段階を踏まないといけない場合もあるのかもしれない。

「死んだらどうなるんだろう」と考えたことは誰しも一度は考えたことがあるかもしれない。
ボンズマン」のように、地獄よりは天国のほうがいいに決まっている。
その「死んだ後の世界」の想像を膨らませてくれた映画でもあり。

連続殺人犯に殺された少女の物語でありながら、ファンタジックで、観終わった後に何だか温かい余韻が残る。
ただの恐ろしいサスペンスというだけでなく、いろんなことを考えさせられる物語でした。

ちなみに、スージーのおばあさん役をスーザン・サランドン。脇を固める役だろうけど、イマイチな気がした。
事件の担当の刑事役をマイケル・インペリオリ。海外ドラマ「ザ・ソプラノズ哀愁のマフィア」で主人公のトニーの甥の役でした。最後はトニーに殺されちゃうんだけどね。