海外ドラマ『セイレーンの誘惑』感想/サスペンスとコミカルそして後を引く結末

海外ドラマ「セイレーンの誘惑」感想レビュー ■海外ドラマ

作品紹介

何度連絡しても返事のない妹シモーヌに怒ったデヴォンは、SNSでシモーヌの居場所を突き止め、その島に向かう。しかし、そこは富裕層が集まる島。そして周囲を支配するシモーヌのボス、ミカエラと取り巻きたちが待っていた。(全5話 2025年)

監督ニコール・カッセル/キエン・トラン/リラ・ノイゲバウアー
脚本モリー・スミス・メッツラー
製作モリー・スミス・メッツラー
出演ジュリアン・ムーア/ケヴィン・ベーコン/メーガン・メイフィー/ミリー・オールコック他

登場人物

シモーヌ・デウィット(ミリー・オルコック)

幼いときに、母の自殺の道連れになり、それが原因でPTSDに苦しむ。父親に育児放棄され里子にだされたことを許せずにいる。姉のデヴォンにも捨てられたと思っていて、心のよりどころをミカエラに求める。

弱そうでいて、強い意志を持って危機を乗り越えていくシモーヌを演じたミリー・オルコックは、ドラマ「ハウス・オブ・ザ・ドラゴン」で、少女時代のレイニラ・ターガリエンを演じて話題に。

テレビドラマ「アップライト」で第10回オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞の最優秀コメディ俳優賞において最年少でノミネート。2026年の「スーパーガール: ウーマン・オブ・トゥモロー」のスーパーガール役も決定しています。
顔は役柄よりも幼顔っぽいですが、過去を切り捨て成功の階段を登っていこうとする野心ある女性を演じています。

デヴォン・デウィット(メーガン・フェイヒー)

シモーヌの姉。母の自殺、父親の鬱から逃れるために大学へ行くが、妹のシモーヌのために断念。妹に寄り添うが、シモーヌからは避けられている。父親の介護を助けて欲しくてシモーヌを探しに島へ行くが、そこでシモーヌがミカエラに洗脳されていると思い、助けようとする。

何とか妹を助けようとする姉デヴォンを演じたのは「ホワイト・ロータス」シーズン2で主演を務め、プライムタイム・エミー賞のドラマ部門助演女優賞にノミネートされたメーガン・フェイヒー。「シカゴ・ファイア」や「ブルーブラッド」などドラマのゲスト出演のほか、映画「ザ・ボールド・タイプ」に主演しています。

ミカエラ・ケル(ジュリアン・ムーア)

「クリフ・ハウス」と呼ばれる豪邸の女主人。人を操る魅力があり、シモーヌを洗脳に近い状態にしている。怪我などして傷ついた鳥を保護し、野生に帰している。使用人たちには「モンスター」と呼ばれている。

不思議な魅力を持つミカエラにジュリアン・ムーア。「エデンより彼方に」でヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞、「めぐりあう時間たち」ではベルリン国際映画祭女優賞を受賞し、その年のアカデミー賞では前者では主演部門、後者では助演部門にダブルノミネートされている。

他に『トゥモロー・ワールド』や『シングルマン』、『キッズ・オールライト』、『ハンガー・ゲーム』シリーズなど、幅広いジャンルで活躍。若年性アルツハイマー病に侵された女性を演じた「アリスのままで」では第72回ゴールデングローブ賞の主演女優賞(ドラマ部門)と第87回アカデミー賞の主演女優賞を受賞した。

ピーター・ケル(ケヴィン・ベーコン)

ミカエラの夫。前の妻を捨ててミカエラと結婚している。前妻の間に二人子どもがいて、孫もいる。ミカエラの尻に敷かれているようで、真のボスといったところ。

ミカエルとは正反対で、一見いい人そうなピーターにケヴィン・ベーコン。ミカエラとは何となくギクシャクしているし、言いなりのようで、実は本当に権力を持っているのはピーター。そのあたりの演技は、やはりさすが。

ドラマには2013年、サイコスリラー「ザ・フォロイング」で初主演。以降「I Love Dick」(2016年)「City on a Hill」(2019年)、「ボンズマン悪霊ハンター」(2025年)に主演している。

セイレーンの神話

今回の物語に重要な意味のある「セイレーン」。この神話のことを知らないと、このドラマを理解するのは少しむずかしいかもしれない。

「セイレーンは、ギリシア神話に登場する海の怪物。上半身が人間の女性で、下半身は鳥の姿とされるが、後世には魚の姿をしているとされた。海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせる。歌声に魅惑された挙句セイレーンに喰い殺された船人たちの骨は、島に山をなしたという。(参照:Wikiペディア)」

「家族構成としては、父は川の神アケローオス。母は文芸の女神(ムーサ)の一柱で悲劇を司る女神メルポメネーとされるが、舞踏の女神テルプシコラーとする文献もある。
元々は豊穣の女神デメテルの娘(後に冥界の女王となった)のペルセポネに仕えるニュンペー(ニンフ)であったとも言われている。アポロドーロスの『ビブリオテーケー』では、ペイシノエー(Peisinoe)、アグラオペー(Aglaope)、テルクシエペイア(Thelxiepeia)の三姉妹とされる。(参照:ピクシブ百科事典)」

ギリシャ神話は、人物構成が複雑すぎてわけわからん部分はありますが、結局のところ、「セイレーン」というのは三姉妹で、「“海の航路上の岩礁から、美しい歌声で(または1人が竪琴を弾き、1人が歌い、1人が笛を吹いて)船乗りを惑わして遭難させる”」(参照:ピクシブ百科事典)ということです。何となくでも、こういうことを知っておくと、このドラマが「セイレーン」の神話になぞらえていることはわかると思います。

感想

(※ネタバレ含みます)
物語はドレスの裾を引きずりながら鳥かごを持ち崖に向かって歩くミカエラの姿から始まる。「バーナビー」と名付けたはやぶさを自然に返すシーンは幻想的だけれど、一転、デヴォンが警察署から出てくる場面で現実に戻る。デヴォンは父親の介護疲れやアルコール依存の問題を抱えていて、妹のシモーヌに助けを求めて電話やメールをするが、ことごとく無視され、怒ったデヴォンは、シモーヌのSNSを頼りに居場所を突き止め、「クリフ・ハウス」のある島へ向かう。

ここまでは、まだこのドラマがどんなストーリーなのか読めない。SNSをみる限り、シモーヌは楽しそうだし、生活を満喫しているように思える。いかにも乱れている感じのデヴォンのほうがトラブルメーカーにしか見えない。
けれど物語はデヴォンが島のクリフ・ハウスに着いてから本格的に始まっていく。

セイレーンの三姉妹

クリフ・ハウスを支配しているミカエラ。上記の神話のセイレーンの三姉妹の話からすると、どう考えても長女と呼べるのはこのミカエラでしょう。富裕層の人たちを島に集め、支配し、使用人たちもミカエルのわがままな言動に振り回されている。周りからは「怪物(モンスター)」と呼ばれている。はやぶさのバーナビーや鳥の保護活動も、半身半鳥のセイレーンの象徴なんだと思う。

島にやってきたデヴォンは妹のシモーヌを見つけるが、シモーヌはミカエラに心酔していて、周りには「ミニミカエラ」と呼ばれ、ミカエラの命令を使用人たちに指示し、使用人たちにはグループチャットで悪口を言われたりしている。
そんなシモーヌを見て、何とか家に連れ戻そうとするデヴォン。
そんなデヴォンも、島に渡る間の船の中の船長や、クリフ・ハウスの使用人の男、シモーヌの彼氏の部下など、次々と関係を持っていく。まさに、男を次々と誘うセイレーンの所業。

シモーヌはミカエラに内緒で、夫のピーターの親友と付き合っているが、ドラマの話の流れから、彼女も次々と男を変えていることが発覚する。シモーヌもまさにセイレーンの一人なのだ。
ミカエルとシモーヌとデヴォンはセイレーンの三姉妹になぞられていて、それぞれがある意味「怪物(モンスター)」なのだろうと思う。

家族の確執

母親に道連れにされ、父親には育児放棄で里子に出され、姉には見捨てられ、家族を許せないシモーヌ。自分の居場所はミカエラのところだけと信じていて、姉の思いには耳も貸さない。
けれど、恋人のイーサンがわざわざ父親を迎えに行って島に連れてきてしまう。デヴォンの上司でもあり、不倫しているレイモンドも一緒に。どうしても父親を許せないシモーヌはショックを受ける。

コメディタッチでドタバタ劇的な部分もあるけれど、このあたりの家族の状況はかなりダーク。母親の自殺、その道連れ、姉は抱えきれず大学に逃避、父親も鬱状態で育児放棄、挙げ句には里子に出される。こんな過去を持てば、家族のそばにはいられないし、許せないし、また、そんな自分を責めてしまう部分もある。
デヴォンに説得されて、きっと頭ではわかっていても、シモーヌはもう、そういう生活には戻れないのだ。

一方、デヴォンも本当は何もかも投げ出して自分の道を行きたい願望はある。島で知り合ったジョーダンには一緒に旅行に誘われていて、ついていきたい。でも父親を見放せない。それは、以前にシモーヌを見放したという罪悪感からかもしれない。

島での出来事は、何だか夢かうつつか、ある意味幻想的なベールに包まれているけれど、唯一、現実感があり、まともだと思えるのはデヴォンだけ。この夢の中のような島と現実を繋いでいるのがデヴォンなのだろうと思う。

真の黒幕はピーター?

ミカエラの夫ピーターは、代々の資産を受け継ぎ、富裕層の中の頂点とも言える存在。ミカエラに尻に敷かれているようで、本当の権力は彼にある。ミカエラが殺したと噂される前妻は、実はピーターが捨てて、別のところに住んでいる。そしてミカエラと結婚したという経緯が。
使用人とも仲よく気さくなフリをしているけれど、それは「勝者」としての余裕でしかない。

ピーターが浮気しているのではないかと疑い、ミカエラがシモーヌに後をつけさせたけれど、二人はそこでいい感じになってピーターはシモーヌにキスをする。シモーヌにはそんな気はないけれど、その写真を撮られてしまって、ミカエラにバレて、ミカエラはシモーヌをクビにする。こういう時、自分的に不思議なのは、必ずと言っていいほど怒りは女の方に向く。責められるべきは男の方なのに。

けれどミカエラは、今の支配がピーターの妻「ケル夫人」だからこそだとわかっていて、それを失うのが怖いのだ。かつて自分がピーターの前妻にしたことが、今度は自分がそうなるのではないかと。
でも、ここしか居場所がないと思っているシモーヌは絶望する。そんなシモーヌをピーターはミカエラの後釜に据える。

それを見たデヴォンは必死に引き止めるが、「無意味なものは手放さなきゃ」というシモーヌの言葉に、自分は父親の面倒をみることを決意する。
そしてシモーヌはまたあの崖に行き、何となくほくそ笑む。

それぞれの選択

このドラマは「セイレーン」という怪物を女性になぞらえたストーリーのような気がする。
けれど、ピーターに捨てられたミカエラと同じ船で故郷に向かうデヴォンとの会話で

ミカエラ:「怪物」と呼ばれるまで13年頑張った
デヴォン:あなたは怪物なんかじゃない
ミカエラ:彼女(シモーヌ)もね

という台詞がある。

あの島ではピーター・ケルの妻である「ケル夫人」は絶対的権力がある。周りは富裕層ばかり。その頂点に君臨していて、皆が言いなりになるのだ。その権力に酔っても不思議はない。

けれど、それはピーターが「妻」として認めている間だけなのだ。前妻を捨てたと同様にミカエラも捨てられ、あの幻想的なオーラーは消え、現実に戻ったミカエラがいた。そのビフォア・アフターのジュリアン・ムーアの演技もすごい。
シモーヌもきっとミカエラのように何年かは「怪物」として君臨するに違いないけれど、また同じ道を辿っているだけなのかもしれない。

永遠なのはピーターだけだ。彼がすべてを握っていて、パーティでミカエラとシモーヌのクビをすげ替えても、誰も驚きはしなくて、それをすんなり受け入れている。それが「富裕層」という特権階級の世界なのかとも思う。けれど、シモーヌはその世界を選んだ。その世界がシモーヌを「怪物」にするのかもしれない。

あの豪華絢爛な世界に一瞬でも浸れば、その世界から抜け出したくなるなるところだと思うけれど、デヴォンは人の価値はそれだけではないことを知っている。父親の介護に疲れるかもしれないけれど、少なくともあの1万ドルで、今までとは多少違う生活ができるかもしれない。

それぞれの選択がどこに行き着くかはわからないし、「幸せ」の定義は人それぞれ違っている。
神話のセイレーンは男たちを惑わせ、海に引きずり込む「怪物」だったけれど、ミカエラやシモーヌは富や権力という怪物に振り回されているだけ、ということなのかもしれない。

結局のところ、「セイレーンの誘惑」というのは、富と権力の誘惑で、その世界への誘惑は抗いがたいということの象徴がシモーヌで、それに抗ったのがデヴォンということなんだろうか。
そしてそれは、きっと永遠に繰り返されていく。人間の富や権力への欲望は枯渇することはないのだから。